電信柱エレミの恋(続)

あらためて『電信柱エレミの恋』について考えてみる。
たまたま入った美術館でやっていた映画だったので前提知識なしで観て、とてもいい作品だと思った。

そのときの感想はここに。
電信柱エレミの恋 - Real Artists Ship

でも、考えてみると8年間を1つの仕事をやりきるってすごいことだと思う。
監督の中田秀人さんは1972年生まれ。製作期間が2001年から2009年だとすると、29歳から37歳の間だから、ちょうど脂がのって、いろんな可能性のある期間。この仕事だけをしていたわけではないかもしれないけど、メインの仕事はこれだけだろうし、なかなか完成しない作品を前に、迷いはなかったのかな、と思ってしまう(それは普段の自分が迷いまくりだからかも...)。

今、自分はIT業界にいるから、ドッグイヤーと言われて、次々と新しい技術、ビジネスモデル、製品、サービスが生まれて、それに振り回されている。β版でもリリース。とにかく早いことがいいことだっていう文化がある。でも、新しいことを追求するだけではなくて、どっしりと構えて1つのことに集中してやらないとできないことってあるのだと思った。

中田:「制作費は人件費無しで700万円ぐらいです。制作時間の6割が造形制作で、撮影が4割という感じですね」*1

この作品は、中田さんを含む4人の固定メンバで製作。

――「エレミ」は8年かけて完成したと聞きました。4人それぞれが8年間テンション合わせるのは難しいと思うのですが、何かご苦労とかありましたか?
中田:8年って数字を出されて感心していただくことが多いんですが、自分は全然ほめられたことではないと思ってます。8年かけて作ったのではなく、かけたくなかったのに8年かかってしまったんです。長い時間をかければ作品が腐る恐れもあります。情熱が薄れていったり、テンションがぐらついたり。それを回避するのは技術的な部分とは別の難しさがありますよね。 *2

イデアを思いついたときは簡単にできそうに見えても、本当に形にするには地道な作業が必要で、こういうのって、本当にしんどいんだよね。

中田:最終的にやりたいことをするためには、やりたくない事をしないといけないですよね。「電信柱エレミの恋」ではそれを痛感させられました。ストーリーに直接関わるエピソードだけではなくて、ただの通行人や、風で揺らぐもの等、それがないと伝えたいものが届かないんですよ。*3

とはいえ、ずっと部屋に籠って撮影していたわけではないみたいで。

――そういえば、中田さんはオーストラリアに留学されていたと聞いたんですけど…。
中田:五島記念文化賞美術新人賞の受賞で、1年間メルボルンで制作をしました。その間はメルボルンから日本とネットを使って連携を取りながら作業を進めたんですけど、僕もスタッフも、帰国後に何かが変わったんですよね。良い方向に。だからそれまでに出国前に撮影した約10分(約2年分)の映像を撮り直す決心をしました。*4

でも、制作途中に1人だけ留学して、それを許してくれる他の3人のメンバもすごいと思う。

―中田さんのメルボルンへの渡航は、ストップ・モーション・アニメーションを学びに行くためだったのですか?
中田:いいえ。僕たちソバットシアターは、技法としては既に独学で構築してしまっているんですね。ですから、技法の留学というより、海外で一人でひたすらスケッチしたり「電信柱エレミの恋」以降の作品のアイデアを洗い直したり、撮り方なども考え直したりしました。助成対象は僕一人でしたが、日本に帰ってきた後はスタジオのスタッフ全員の意識が上がり、明らかに大きな差が画面の中で出て来ましたね。*5


原作を書いた井上英樹さんの話。
http://gogomonkey.air-nifty.com/go/2009/02/post-38a4.html


8年間、1つの仕事を確信をもってできるって本当にすごい。そして、これからは収穫期。いろんなところで上映されて、パケットやセットの展覧会が開催されたらいいなーと思います。

東京都写真美術館で明日(11/27 金)まで上映しています。